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宮古島紀行④ 戦争の記憶。 [旅]

宮古島できれいな夕陽が見たいという私の希望で、ホテル近くの地元の人が集まる
ビーチへ夕陽を見にでかけました。
日が落ちるまで時間がありそうだったので、海で泳ぐ地元の子どもたちをぼーっと眺めていたら、
おじいさんが「どこからいらっしゃったのですか?」と丁寧な口調で話しかけてきました。
「東京からです。」と答えると
「私福岡から来ましたです。仕事で。でも病気になって最近まで入院してました。」
と話し始め、なかなかとまらず。時間もあるし、おじいさんと話すのもいいか~と聞いていたら、

「私は昭和元年の生まれでして、戦争中は知覧で特攻隊の飛行機の整備をしとりました。」
と戦争の話になりました。どうみても70歳くらいにしか見えなかったのでびっくり。
さらに無知な私は、『チラン』って何だろうと思ってしまった。
知覧は九州にある特攻隊を送り出していた軍事基地らしいです。
「私は背が小さすぎて操縦士になれなかったです。だから整備を。特攻隊の人たちを送り出すときは涙が止まらなかったです。特攻隊は死ぬだけ。生きて帰って来られないのですから。でも、彼らは一人も泣いておりませんでした。」
おじいさんは涙を流しながら話していました。私たちも泣かずには聞いていられませんでした。
「九州の富士山と言われる開聞岳というのがあります。特攻隊は飛び立つときそこを3度旋回します。日本の国にありがとうという意味です。それが終戦近くなると燃料がなくて、1度しか旋回できなくなりました。今思うとあれは夢の出来事のようです。あまりにも日本は変わりました。」
おじいさんは戦後、全国の小中学校から呼ばれて特攻隊についての講演活動をされていたということでした。でも講演することが辛くて、続けられなくなりやめてしまった。この話をしたのは久しぶりだとおっしゃっていました。
「こんな話をしてしまって申し訳ありません。」と涙目で言われ、
私たちもなんと答えて良いかわかりませんでした。
言葉が見つからず「ありがとうございます。」としか言えなかった。ごめんなさい。。。
戦争で犠牲になった方、辛い経験をされた方、そして戦後の日本を生きてこられた方、
たくさんの人の犠牲と悲しみと努力の上に、私たちの豊かな暮らしは出来上がっているのだと
改めて思いました。

その後おじいさんはしいたけの育て方をいろいろ教えてくれました。
そのうち話すこともなくなって、しばらく無言で夕陽を見ていたら
眠くなってきて、ついウトウトしてしまい「いかん、いかん」と横を見たら
友達とおじいさんも寝てました・・・。

私にはこの平和があたりまえのものだけど、本当はとっても感謝すべきものなのかもしれません。
今も争いの絶えない場所がこの地球上にたくさんあるのだから。
とても貴重なお話を偶然にも聞かせていただくことができました。

夕陽はきれいでしたが、写真を撮るのをすっかり忘れてしまっていた・・・。
↓大神島の写真です。

海の向こうにある島が宮古島です。


道であったおじいさんに聞いたところでは、住んでいる人は30人くらいとのことでした。


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ノーバッド

おじいさんにナイス。
いや、良い経験されたと思います。
二度と起こさないように悲惨さは語り継いで行かないと。
風化させてはだめです。

それと、この海。この綺麗な海も維持して欲しいです。
by ノーバッド (2006-08-18 08:50) 

asatte-mo-shiawase

しみじみと読み進んでいて、
>友達とおじいさんも寝てました・・・。
この一文で爆笑してしまいました。

子供の頃、祖父の話を聞く機会がありましたが、
怖くて最後まで聞けずじまいだったのを、今は後悔しています。
by asatte-mo-shiawase (2006-08-18 14:45) 

mineja

ヴェトナム・ホーチミンからこんにちわです。
こちらでビーチまで足を伸ばすつもりでしたが、諦めました。
海キレイですね。涼しくなる前に沖縄方面行っちゃおうかなぁ...。
by mineja (2006-08-18 16:54) 

オジィにnice!を。
沖縄のオジィ、オバァの話には胸が潰れる思いがする時があります。
10年くらい前、仕事で大神島にちょろっと行きました。
2枚目の写真の風景に見覚えがあって、懐かしい。
by (2006-08-18 20:24) 

蟹道楽

moonさんとお友達の優しさが伝わってきました。
人によっては”そんな話聞いても・・・・”と避ける人も多いと思います。
それに、初対面の年配の方ですしねえ。
このおじいさんもmoonさんとお友達の優しさを”直感”で感じたのでしょう。
だから、話を聞いて欲しくなったのでしょうね。
僕の叔父も特攻隊だったらしいです。
叔父からの話ではあと9人目が叔父の特攻機の番だったらしいですが、終戦になり行かなくて済んだと言ってました。
ただ、特攻隊の友人で先に行って命を落とした方がいたらしくて、その友人の形見の帽子を大事に持っていました。
こんなことは二度とあってはいけない!と生前叔父はよく言ってました。
moonさんの出会ったご年配の方はその事を若い世代に伝えたかったのではないでしょうか。
by 蟹道楽 (2006-08-19 02:25) 

moon

ノーバットさん☆
こういった話を聞く機会はほとんどなかったけれど、
今回おじいさんの話を聞いて、平和の大切さを実感しました。
ずっと伝えていかなければいけないですね、ほんとうに。
by moon (2006-08-19 11:59) 

moon

きょろさん☆
おじいさんと友達が寝てるのを見たときは私も笑っちゃいました。
子どものころは戦争の話は聞いていて楽しいものではなかったですよね。。。
これからは伝えていくことを考えなきゃ、なのかなぁと思います。
by moon (2006-08-19 12:04) 

moon

minejaさん☆
ホーチミンの写真みせてもらっていますよ~。
とってもおいしそうなものがたくさんですね。
旅を楽しんでください♪
by moon (2006-08-19 12:05) 

moon

ツナミさん☆
こんにちは。お仕事で大神島ですか。いいですね♪
戦争を体験された方のお話を聞くと、『胸がつぶれる思いがする』
というのは本当によくわかります。
それくらい、辛くて決して繰り返してはいけないことなのですね。
by moon (2006-08-19 12:12) 

moon

蟹道楽さん☆
蟹道楽さんのお父様がどんな思いでお友達の帽子を大切にされていたかと
思うと、胸が痛くなります。
お父様のおっしゃるとおり、『二度とあってはいけない!』ことですね。
当たり前に思っていたこの平和を守ることを考えなければ、と思いました。
by moon (2006-08-19 12:19) 

トラ子

貴重な体験をされましたね。
私の父は人間魚雷に乗る日を、指折り数えながら終戦を向かえました。
私が小さい頃は良く、戦争の話を聞かされましたが、気が付くと一切
戦争の話をしなくなっていました。
このブログを読んで、父の話さなくなった理由も同じなのかな~と思い
ました。
蟹道楽さんの叔父さんの「二度とあってはいけな!」をしっかり考えたい
です。
by トラ子 (2006-08-25 18:04) 

moon

トラ子さん☆
人間魚雷。そういったものがあったということ事体、生まれたときから
平和を与えられている私にはよその国の出来事のように思ってしまいますが、
この国で、それほど遠くない過去に起こったことなんですね、本当に。
私の祖母も東京大空襲にあったようですが、祖母本人からその話を聞いたことはありません。母に聞いたら「たくさんの人が亡くなったらしいから、思い出したくなかったのかもね。」と言っていました。
by moon (2006-08-28 08:22) 

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